第四編 龍神様が風にのって両神山麓郷めぐり ~龍神様が自由気ままに両神山麓の四季をご案内~

「山門(仁王門)」

龍神の目覚めと春爛漫

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両神山(2017.3.22 撮影)

龍頭神社里宮「*1」の鈴の音が、尾に触れた。

 

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\P8060007龍頭神社社殿.JPG   E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\P9110033龍頭神社龍神.JPG

すると、その刺激が尾ノ内溪谷に横たわる背に微かに響き渡っていった。

細くながい髭に春の風がふれると、深いまどろみの先に僅かな光を感じた。

久しぶりの目覚めの時を得て、ゆっくりと顔をあげると郷からかすかな匂いがしてきた。

それに誘われるように龍神は、風に乗って両神山を降りていった。両神神社の里宮「*2」が相変わらず素朴ながら存在感を与えていた。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC02890両神神社.JPG   E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC02891両神神社.JPG

更に下って行くと両神御嶽神社(金剛院)「*3」が山の中に見え、長年修験者を支えて来た慄然とした強さを見せていた。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC03502金剛院.JPG   E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC03526金剛院.JPG

匂いの先は、福寿草の群落「*4」がある場所だった。

満開を過ぎてしまっているが、福寿草の精がまだ楽しそうに周りで舞っていた。

誰かの楽しそうな姿を、見るだけでも良いものだ。久しぶりに頬が緩むと、風がさらに良い匂いを運んで来た。

そちらに方向転回し、匂いに誘われながら行くと、

すぐ目の前に春色のパレードがあった。

この道は、秩父札所31番である観音院「*5-1」に通じていた。

 

山に向かって進めば進むほどに、色鮮やかになって行った。道筋に、山々の中に、川辺に、民家の庭先や塀の下までに花たちが咲き誇り、春真っ盛りだった。

どこを見ても花の洪水で、ピンクの桜の足元に真っ黄色の菜の花が咲き、その下には芝さくら。

そして色とりどりのパンジーが隙間を埋め、黄色のレンギョウや真っ白な雪柳が、惜しみなく更なる色彩を加えていた。

観音院に至るこの道は、花桃街道と呼ばれているようだが、一本の桃の樹に2色が生き生きと咲き、その2色のコントラスの花の間と間には、白や紫のモクレンがあり、さらに八重桜が濃いピンクをピンポイント的に咲かせている風情は、本当に花桃街道の名にふさわしかった。

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小鹿野両神観光協会  http://www.kanko-ogano.jp/archives/1580/ より転載

この花々を見ただけでも、久しぶりに目を覚まし、降りて来た甲斐があったと

思わず、にやけてしまった。

これは龍神らしからぬ事だ、とほぞを締めた。

観音院の手前には、紫雲山地蔵寺があった。

紫雲山地蔵寺は山を切り開いた上に、ひな壇式にしてあったが、その規模は中々のものだ。人間の亡き我が子を思う気持ちが、左右に並んで置かれている無数の水子供養の小さなお地蔵さまの赤い前掛けと、廻っている風車の風が上空に達し、我こころを満たしていった。

そこを過ぎてトンネルを抜けると、紫雲山地蔵寺と全く違った空間に出た。そこには静寂の中に、シーンとした清怜な空気に溢れていた。

そこの右手には、仁王門「*5-②」がそびえ、腹の突き出た1丈3尺荒削りの石像の仁王が、左右に1体ずつ立ち、その山門の先には不規則な踏石の石階段があった。

「山門(仁王門)」

埼玉の札所めぐりhttp://www.photo-saitama.jp/fudasho/chichibu/31.htmlより転載

その石階段は見下ろすように迫り、一段ずつがいやに高く、人間の足だとゆっくりでないと登って行けないだろうと思われた。

そもそもこの寺は、室町時代の修験者・山本坊栄円が関東の熊野霊場の修験道場として整備したのだから、険しくて当然だ。

下から舐めるようにして、人間が階段をあがる感じで上って行くと、その両側には、巡礼者や吟行会の句碑が無数に並び、その間には石仏もあった。この鷲窟山(しゅうくつさん)全体では、約1万8千体が安置されていると書かれてあったが、その数は正しいと思うほどの置かれようだった。石段沿いには紫陽花の青々とした若葉が目を休めさせてくれ、その足元には秋海棠(しゅうかいどう)が植わっていた。夏・初秋にはピンクで埋め尽くすだろう光景が脳裏に浮かぶと、先程の花桃街道が思い出され、笑みが浮かんだ。296段の階段上には、三間四面の観音堂「*5-③」が建っており、その背面には『鷲の窟屋』と呼ばれる岩窟があった。

「観音堂」

埼玉の札所めぐり「観音堂」http://www.photo-saitama.jp/fudasho/chichibu/31.html より転載

その岩窟はまるで屏風のように聳え立ち、苔の生えている部分はいかにもスクリーンのようだ。そこを眺めていると色んな像が浮かび上がってきた。

最初は閻魔様のような姿が現れた。

閻魔様とは、冥界の王弟で死者の生前の罪を裁くと言われ、日本の仏教では地蔵菩薩の化身である。

スクリーンのような左側には、岩壁から一条の滝(聖浄の滝)「*5-④」が

流れ落ちていたが、その滝を見て再度、苔の生えている岩面に目を戻すと、閻魔様から観音様の姿に変わっていた。この観音堂には聖観音菩薩様が本尊として祀られているので、その姿かと思えば、また変わり、目深くフードをかぶった若戦士のようにもなった。その不思議スクリーンは、われ龍神でも意表をつかれた。

又、大岩の下方には、不動明王が怖い表情で中ほどの岩上に立ち、岩盤を流れ落ちる30メートルの聖浄の滝では、修行僧たちが滝行や禊をした証のように、磨崖仏といわれる爪彫り千躰仏の鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)「*5-⑤」があった。

 

その引っ掻いたような線をみていると、爪に火を灯すような努力がヒシヒシと胸に響いた。

上空から見ると観音堂と納札所の間からは、奥の院に向かう道も続いており、山道の150m先にある大岩が傘のようになっていた。そしてその下には、石仏「*5-⑥」が並んでおり、そこがどうも奥の院のようだ。

「石仏群」

埼玉の札所めぐり「石仏群」http://www.photo-saitama.jp/fudasho/chichibu/31.htmlより転載

そこまで降りて行き、見晴らし場となっている所から周りを見ると、青い空に山々が取り囲むように立ち並び、それぞれの山の濃淡の緑が、満載のパワースポットを作っていた。山の緑を見ながら大きくひと呼吸するとパワーが全身に巡っていった。

 

夏の精神鍛錬

春を満喫すると、龍神は天に向けて上昇した。

雲を抜け成層圏を抜け、漆黒の宇宙空間の時空・空間を超える世界で、一回転した。

そして今度は、今のコースを逆に辿りながら郷へと戻っていった。

次の場所には、初夏の太陽が輝いていた。

空気を切り裂くような鋭いこだまが、耳の先に聞こえると、その場所をめがけて降りて行った。

そこには逸見家甲源一刀流の耀武館道場「*6-①」があった。

 

多くの若者が汗を垂らしながら、真剣なまなざしで刀に向かい合っていただろうその真剣さが、時空を超越できる龍神の身に感じられると、思わず背を伸ばした。年数を経た現在でも、その迫力が、周囲の気の中に感じられた。

龍神とは、便利なもので時空・空間を超えられる上に、その物を見ると一瞬にその過程も見えてくるものだ。

ここの道場主である逸見家は、甲斐の国主・武田家とは同族だった。だが、武田信玄の父・信虎と不和になると両神村小沢口に移り住んだ。200年後の10代目の逸見太四郎が、両神山の逸見ヶ岳へ籠り、一刀流剣術を編み出し、祖先の源氏の字を入れて甲源一刀流と命名したようだ。

以後九代にわたり継承され「剣術は心術なり」を根底に鍛え、中里介山氏の小説「大菩薩峠・第一巻甲源一刀流の巻」で一躍有名となった。

本道場は、木造平屋建ての白壁造りで武者窓があり、内部は床の間付きの師範の間・稽古場・控席などもあった。

上空から道場を見透かすと、天井下には、稽古に使用した槍・薙刀・杖術具(突棒)が置かれ、その下には門人の名札が数多く下がっていた。

杖術の練習のためについた箇所には、くっきりと凹み痕が残り、稽古の厳しさがひしひしと伝わってきた。

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(道場の写真)

『剣術は心術』というとおり、道場付近には緊張の中にも凛とした研ぎ澄まされた心の平穏があり、久しぶりに緊張と緩和のバランスを感じていると、武士の魂がすぐそばにあった。

道場の横には、資料館「*6-②」もあり、そこに展示されていた誓詩書は、血判状で武士の命をかけた覚悟が、その赤い印から見えて来た。

その覚悟を思いやっていると、先程の武士の魂が形となり、甲源一刀流 『勢眼の構え』の師範の姿に重なった。

そこには心術がまさに生きづいており、精神性の深さが再現されていた。

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(師範の勢眼の構え)甲源一刀流のしおり(甲源一刀流顕彰会)より転載

久しぶりの動の中の静寂を感じると、更にそれを深めたいと感じたその瞬間、それに答えるような大気が動いた。

その方向に行くと薬師堂「*7-①」があった。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC02211法養寺薬師堂.JPG

ここの薬師堂は、戦国時代に鉢形城主北条氏邦が古堂を移築したと書いてあったが、古色蒼然と立っている風情は伝統の深みを表していた。

仁王門の2体の仁王像「*7-②」も、堂々と門人として威を放ち、堂内にあ

る守護尊の薬師如来は、日本三体薬師尊の一つだ。

 

この薬師には、眼病に霊験があるようで、祈願用の多くの絵馬や千羽鶴が奉納され、所狭しと置かれているのを見ると、思わず目を閉じ、目の確認をしてしまった。

だが、悠久を生きてもまだ健在のようで、胸をなで下ろしてしまった。

堂内には、木造の日光菩薩・月光菩薩立像と十二神将像も安置されていたが、

日光菩薩・月光菩薩は薬師如来の脇侍で、眷属の十二神将像とともに安置されることが多いのだが、このように十二神将がすべてそろっているのは珍しい。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\P1230040十二神将右.JPG

ここの薬師堂のように、すべて木彫の十二神将は全国を探しても皆無で、さらに日光菩薩像と月光菩薩像も揃っているのは、この上ない貴重なものだろう。

 

賑やかな仏像たちも良いが、さらなる安寧を求めて顔を山頂に向けると、そこからほんわかとした空気が漂ってきた。

わが寝床がある尾ノ内溪谷近くからの、その気に導かれて行くと、こじんまりとした綺麗な堂があった。そこは真福寺「*8」だった。

真福寺の堂内には阿弥陀如来座像があったが、金箔はほぼはげ落ちて素地になっていたが、若々しい端正な面相と流れ落ちるような衣をまとった姿は、鎌倉時代の大仏師である運慶・快慶の正系の仏師により彫られたものらしく、存在感を表していた。

仏の姿を見ていると、仏と同じようなゆったりした休息を感じたく、天に向かった。

漆黒宇宙の何もない、そしてまぎれもなくすべてが在る空間に触れると、十分なエネルギーに満たされ、再度好奇心に惹かれ下界へと注意を向けた。

 

秋の豊穣と祭り

鳴り物が聞こえて来た。

豊穣の秋が訪れていたようだ。澄み切った空気の中、太鼓の音にひかれるように行くと、大勢の人が集まっていた。

集まりの中心の前には、小鹿野町の飯田八幡神社「*9」能舞台があった。

 

そこで神楽の奉納がされており、能舞台の左側には御神馬が2頭、大きな馬体を狭い小屋に押し込まれ、無頓着にかいばを食べていた。

社殿の右横には、山の斜面に御神木が、根元に大きな黒い穴をポッカリと開けながら、極太の根をしっかりと大地に根付かせていた。空洞の中は黒焦げになっており、雷が落ちたようだが、頭を失いながらも慄然と太い幹と根を張っている姿は、『限界はない』という決して諦めない強さを響かせていた。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\PC110032八幡神社の黒焦げの大木.JPG   E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\PC110033八幡神社の黒焦げの大木.JPG

社殿の正面階段を降りた先には、さらに多くの人が集まっていた。そこには屋台(山車)があり、その上で歌舞伎が演じられていた。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\PC110040八幡宮鳥居.JPG   C:\Users\Takayanagi\Pictures\OLYMPUS Viewer 3\2016_12_11鉄砲祭り\2016_12_11鉄砲祭り写真\PC110070八幡神社歌舞伎.JPG

この小鹿野歌舞伎は、二百数十年の江戸時代に修行を積んだ初代坂東彦五郎が帰郷し、近在の若者に歌舞伎を教えた。その後小鹿野を本拠地として芝居一座が引き継がれ、郷土芸能として今に至り、ここの歌舞伎が一番古いようだ。

その歌舞伎が真下で行われていたが「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」という題目で、江戸時代の恩師と我が子の愛の狭間で揺れ動く情愛が見事に演じられており、ついつい見入ってしまうと、気づけば目尻が冷たくなっていた。

鬼の目にも涙というが、龍神にも涙となってしまった。

そんな緩んだ目元から耳に向かって、鋭い音が響いた。

空をつんざくようなパンパンパン・・・パンの音に加えて火薬の臭いも感じられた。涙に気をとられているうちに、時が過ぎたようだ。

八幡神社の境内に続く階段下には、鉄砲衆20人程が両側に並び、天に向けて火縄銃(火縄銃保存会)を撃っていたのだ。

その銃火の間を御神馬が急な階段を駆け上り、社殿を3周していたが、鉄砲の音やその硝煙や火薬の臭いにも動ぜず、ひづめを鳴らしながら走り抜ける神馬は、御神馬の名に相応しいものだと、つい頷いてしまった。

 

動物にも神の名がつく輩も多く、ほんに名前だけのものもおり、同輩とみられる身には震えが走るときがあるものだ。

これは秩父地方の1年を締めくくる鉄砲祭りという奇祭で、200年前から続いているようだ。

さすが晩秋・初冬となると風も冷たく感じ、さらに里心も芽生え、我が寝床が恋しくなると、尾ノ内溪谷方面に向かった。だが普通でないエネルギーを感じて下を見ると、赤々と燃えているような巨木があった。そこに吸い寄せられるように降りると、磁場の強いエネルギーの渦を感じた。その渦に身を預けたような巨木があり、それは幹周囲3.7メートルの大もみじ「*10―①」だっ  た。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\PB060087坂本の大モミジ.JPG     E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\PB060089坂本の大もみじ.JPG

幹をねじらせながら天に向き、青空に向かって無数のもみじの葉を広げて、真っ赤になっていた。
その背景には、西岳と東岳の秀麗な岩稜をもつ双耳峰の二子山が、まるで絵葉書のように配されていた。
この二子山「*10-2」西岳山頂からは、360度の大パノラマもあり、又ロッククライミング場としてスリリングな魅力で登山者を惹きつけ、丁度坂本バス停に着いたバスから多くの若者が降り、そこに向かって行った。

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(尾之内渓谷より臨む二子山)

大もみじの根元少し上に、強い何かを感じ、顔を近づけた。するとそこに、しゃれこうべが浮かび上がり、漆黒の眼窩を天に向けていた。その表情が何とも言えない雰囲気をたたえていた。微笑んでいるようでもあり、自信を誇示するのでもなく、当然のように、その場を仕切っているようでもあった。その雰囲気が靄(もや)のように太い幹上に形づくられると、修験者の堂々とした姿態として浮かび上がっていった。
龍神ほどではないものの優秀な修験者は、磁場を感知できるという。修験を全うし、終の棲家としてこの場所を選んだのか、逆に修験者の魂がこの場所を選んだ為に強い磁場となったのだろうか?
それにしても、しゃれこうべは一般的には、気味悪いものと思われているが、ここのは全く違った。
しゃれこうべ(髑髏・ドクロ)は、人骨の頭部で一般的に死を意味することも多いが、海賊船の旗やキャラクターの黄金バッドにも使われていることから、やはり強さを象徴しているのであろう。

この大もみじの幹には、いくつもの瘤があった。

わが世界では、大樹にある瘤には、妖精が宿るという認識がある。

だが人間界では、瘤の原因は幹の傷に土壌細菌が感染してできことはわかっているが、数ヶ月~数年後にも、感染部位がなくても、老齢木の高い位置にこぶができる原因は、完全にわかっていないようだ。
大もみじの瘤は、もみじの精としゃれこうべが、仲良く共存共栄することで、堂々と天に延びているのだろう。
その堂々ぶりには、われ龍神も舌を巻く気分だ。
満足気が高まるとその高揚感で、龍神の体が天に向かった。大もみじや二子山を下に見たと思った瞬間に宇宙入口にいた。
その宇宙を更に奥に進むと、飛び込み台から深い川底に向かって飛び込み、水の中で1回転するように、くるりと廻った。
顔が下に向いた瞬間に、来た以上のスピードで降りて行った。
その高速に細長いひげや背の鱗が震え、その快感に浸る間もなく、氷のような冷気に、頬が強張った。

 

尾ノ内溪谷の氷柱と薬師の湯

そのはずだ。

わが寝床の端に、幾つも氷柱があったのだ。そこは冬の真っ最中で大勢の人が、氷柱「*11」を取り囲んでいた。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\DSC02241尾ノ内氷柱.JPG

目覚めた時には反対方面にむかったので、気づかなかったが、こうして戻ってくれば、

渓谷の吊り橋の両サイドには、人口的な立派な氷柱が出来上がっていたのだ。これはどうも地元の人々が地域活性化の1つとして作り上げたもので現在は8年目のようだ。こうして吊り橋の上空から見ると圧巻で、その上、夜(土曜日)にはライトアップされるらしい。この迫力に色が加われば見事なものになるだろうことは、間違いない。

振る舞われている甘酒のあまさが、寒い冬に優しさを添えているようで、手に持った人の顔はほころんでいた。

そしてそこには、見慣れた顔が幾つもあった。

第三編でこの尾ノ内渓谷を、身軽に走るような優美さであるいた69才の人が、ここでも軽いフットワークで歩いていた。

73才の消防団長は、年を感じさせない若々しさといつもの冷静沈着さで、その場の空気の落ち着きを作っていた。

元校長が柔和な笑顔で、人から人へと親愛を振りまいていた。

そして著者が秩父に来た時には、常に車の送迎と場所案内役を務めてくれたY氏が、大きな福耳をもち、大きな耳は人の話をよく聞くと言われているが、人の話を聞くたびに刻まれたであろう深いしわが、飄々とした笑顔に刻まれながら人混みの中にいた。

そしてこの両神山のパワースポット探しの著者も、偉大な自然を求めて世界各地を歩き、そこ・ここの自然・自然霊やわれ龍神を含むエネルギーと親しみながらメッセージを発している姿には、小さな拍手を送ろう。

こうしていつの間にか、わが寝床の端が、観光スポットと賑わい、高校生や主婦も笑顔で手伝っていた。

地域が一体になることは、素晴らしい事で、日本国の良い習慣である『助け合い精神』と符号するものだ。

だが都会でも小さな町でも、影を掠めてしまっている所も多く、以前では考えられない凶悪犯罪が、日常茶飯事的に起こっているではないか。

この場では笑顔が主となり、その顔をみていると心も温まってきた。その温もりを感じながら滝にできている氷柱に近づくと、一風が氷柱の冷気を運んで頬をかすめ、全身が震えた。

氷柱の寒さに震えていると、温かな湯煙の匂いが漂ってきた。目の前には両神山頂があり、ほんの一歩でねぐらだが、湯煙に向かった。

そこには薬師の湯「*12」という日帰り温泉があり、道の駅にもなっていた。

両神温泉薬師の湯

小鹿野両神観光協会http://www.kanko-ogano.jp/spa/より転載

農林産物直売所やそば打ち体験施設も併設され、楽しそうだ。湯船に浸かれないのが残念だが、最近は猿や犬などの動物も温泉に入るようで自分の時代との年代の差を感じた。

自分の年代と言えば、道草ついでに懐かしい場所に行く事にした。尾を振れば、すぐに行く着く所にある犬木の不整合に向かった。

 

番外編

そこは昔の、古代のままの雰囲気が漂っていた。

赤平川の左岸に典型的な不整合があり、その川に降りると海の匂いがした。

そうだ。ここは、秩父湾だった。

約1700万年前の日本列島誕生時は関東山地を中心として島になっており、秩父盆地の西端まで海であった。この小鹿野町も海の底だった。

そしてここの犬木の不整合「*13」は、それより以前の世界があった。

E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\P9110020犬木の不整合.JPG    E:\最近の活動2017年03月\パワースポット第4編\Photo\P9110023犬木の不整合.JPG

大岩に顔を近づけると、クッキリとした線が現れ、地層の違いを示していた。不整合とは2つの層の間に大きな時間的不連続があることで、岩の中には貝殻の化石のようなものもあった。

動くものが目に入ると、沢蟹が鋏を動かしながら川の方へと向かっていた。下流の河床からは、かつてパレオパラドキシアの骨化石も見つかったようだ。

岩から零れ落ちている水を飲むと、古代のままのふるさとの味がした。

ここは恐竜時代の約1、3億年前と哺乳類時代の1億年前の中生代白亜紀前期の泥岩層とが、はっきりと大岩の表面に現れて、2つの時代の海が出会った場所なのだ。

静かに目を閉じると目の前の空に、大きな羽を広げた孔子鳥(こうしちょう)が悠々と飛び、イルカにそっくりの爬虫類であるステノプテリギウスや全長12メートルの巨大サメのカルカロドン、メガロドンが水際でのんびり泳ぎ、全長10メートルを超える草食恐竜のマラウィーサウルスが草原を走っている姿が、浮かびあがって来た。

故郷の懐かしい仲間たちだ。

仲間たちの匂いを味わっていると、そこから下った場所から、ふっと、節分草の精が動き始めたのを感じた。

節分草は早春に芽を出し、節分の頃に花を咲かせることからこの名がついているが、可憐な白い花は人気が高く、我も大好きな花の1つだ。現在は、乱獲や自生地の環境破壊により希少植物になっているのが残念だ。

だが節分草の自生地「*14」として全国でも有名な場所は、この両神山の麓のここ小鹿野町であることは嬉しい限りだ。

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遥か長い時間の眠りだったが、ひょんなことから目覚め、こうして眠りの地を巡りながら、現代の新たな時間の流れを見ることができて、良かったというしみじみとした思いが、心の深い部分に穏やかなやさしさとして溢れていった。

下界の人間世界も、色とりどりの中で動き回っている様子だが、人間に任せることにしょうと思うと両神山頂に向かった。

やがて馴染んだ寝床に身を横たえ、静かに目を閉じると瞼がピクリと動き、瞬時に、

またいつの日か目覚めるのだろうか?

そのとき、この地球は健全な姿のままなのであろうか?

そこには笑顔が残っているのだろうか?

などの思いが脳裏をかすめ、悠久の眠りへと入っていく途中に、笑みのようなものが浮かんだ。

第四編でご紹介する小鹿野町文化財一覧

(小鹿野町文化財ガイドマップ-小鹿野町教育委員会発行-より転載)

https://www.town.ogano.lg.jp/menyu/bunkazai/top.html

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第四編で触れる主なパワースポット一覧

「*―1」 八日見山龍頭神社里宮  秩父郡小鹿野町 河原沢996-1

http://www.raifuku.net/special/wolf/map/area/kanto/shrine/ryoukami/ryoukami.htm

「*-2」 両神神社里宮  秩父郡小鹿野町両神薄2267

http://www.raifuku.net/gofu-b/ryoukami/ryoukami02.html

「*-3」 両神御嶽神社(金剛院) 秩父郡小鹿野町両神薄6785

http://www.raifuku.net/special/wolf/map/area/kanto/shrine/ryoukami3/ryoukami.htm

「*-4」 福寿草の群落

秩父郡小鹿野町両神小森・四阿屋山(あずまやさん)内の福寿草園

http://www14.plala.or.jp/shibazakura/hukujyusouen.html

「*5―①」秩父札所31番・観音院 秩父郡小鹿野町飯田観音2211

http://www.photo-saitama.jp/fudasho/chichibu/31.html

「*5-②」観音院・仁王門

「*5-③」山頂・観音堂

「*5-④」山頂・聖浄の滝

「*5-⑤」山頂・鷲窟磨崖仏

「*5-⑥」山頂・奥の院

「*6」  逸見家甲源一刀流の耀武館道場 秩父郡小鹿野町両神薄167

https://www.town.ogano.lg.jp/menyu/kankou/ITTORYU/ITTORYU.HTM

「*6-②」逸見家甲源一刀流道場資料館

「*7-①」四阿屋山法養寺薬師堂 秩父郡小鹿野町両神薄2391

http://www.town.ogano.lg.jp/menyu/bunkazai/bunkazai5.html

「*7-②」薬師堂・仁王門

「*8」   真福寺     秩父郡小鹿野町河原沢442

http://www.town.ogano.lg.jp/menyu/bunkazai/bunkazai2.html#19

「*9」   飯田・八幡神社 秩父郡小鹿野町飯田2756

http://www14.plala.or.jp/shibazakura/teppoumaturi.html

「*10―①」坂本の大もみじ 秩父郡小鹿野町大字河原沢771

http://mohsho.image.coocan.jp/sakamotok2.html

「*10-②」二子山 秩父郡小鹿野町にある山で

群馬県多野郡神流町との境界に近い。

http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=344

「*11」尾の内溪谷氷柱  秩父郡 小鹿野町 河原沢 3515

http://www.town.ogano.lg.jp/menyu/kankou/midokoro/onouchi/fureai/guide.html

「*12」両神温泉薬師の湯  秩父郡小鹿野町両神薄2380

http://www.kanko-ogano.jp/spa/

「*13」犬木の不整合 秩父郡小鹿野町三山

http://www.shizen.spec.ed.jp/?page_id=426

「*14」節分草群生地  秩父郡両神小森堂上

http://hottime.sakura.ne.jp/hana-1/setubunsou.html