第三編 龍神様パワーを独り占め

☆☆☆開運・上昇運をつかむパワースポット=龍神様のパワースポット探し☆☆☆

~龍頭神社里宮から龍神が棲む一番滝
⇒山の神⇒油滝⇒龍頭神社奥社の昇り龍へ~

 尾ノ内溪谷には、両神山山頂を頭にして5200mの龍神様がいるとの伝説があり、尾ノ内溪谷コースそのものが龍神様の化身のようだった。
歩き始め早々に、女人のような樹に出会い、穏やかなパワーに包まれると、地元同行者三人三様の信頼が、善のパワーとなり、厳しい山行をやわらげ、更なる気分を盛り上げた。
そのプラスエネルギーのなかで龍神様が出現すると、渦巻くエネルギーが写真に写された。だが待っていたのは天狗の襲来と、鎖場の岩壁だった。
難所である岩壁では、2度の宙ブランとなり行く手を阻まれ、目的地の断念を余儀なくされてしまった。
それでも龍神様は、その存在を強調や主張もせずに、励ますようなパワーで見守ってくれ、最後には必要なメッセージまでも送ってくれた。

■龍頭神社里宮から龍神が棲む一番滝まで

真夏の猛暑を走り抜けた車中から一歩でると、そこには平安時代に建立された龍頭神社の里宮があった。だが境内はなく、校庭の奥にポツリと立っていた。明治7年に境内が整地され、三田川第三小学校の分校が建設された。その分校も廃校になり、現在は何もないただ広い黄色のグランドの手前に寂しく鳥居があり、その奥に樹を背にして憮然と龍頭神社の里宮が建っていた。
龍頭神社は「りゅうとうじんじゃ」と呼ばれているが、正しくは「りょうがみじんじゃ」である。祭神は伊弉諾尊・伊邪那美尊で建御名方神が合祀されている。奥社は両神山の剣が峰から北の東岳と西岳の中間鞍部にある。御神体は古くから男女の性器を形どった石が、社の中に二つあったが、現在は一つのみとなっている。
頭上に真っ赤な太陽を受け、龍頭神社の前に立つと、ヤマイヌ(両神山の守り)が両脇に立ち、更に7段上の参拝所にも1対立っていた。その天井近くには、正面に龍の彫り物が堂々とあり、その龍を守るように両脇には正面から突き出た獅子が、大きな口をあけて吼えていた。

 

龍頭神社の里宮

 鈴を鳴らし、手を合わせると以外にも龍の姿が見えるのではなく、大きな白いヤマイヌの姿が見えた。不思議感で本殿の木の階段を上がり、中を覗いた。すると本殿の中にも、もう1対のヤマイヌがいた。その目はランランと光り、こちらを睨んでいた。そしてその中央には尻尾があった。やはり龍がいた。だが龍の尻尾のみだった。
両神山の山頂を頭にして『5200mの龍がいた』という伝説が残っている。山頂部分が龍の頭部で、胴体は八丁尾根を這い、尾は東岳と西岳間から下がって尾ノ内沢に沿い、尻尾は尾ノ内にあるとされている。
また霊夢に現れた両神山(八日見山・龍頭山)の天狗の宣託により、龍を表わす地形の地に神社を鎮座することになったとの話も伝わっている。山頂から流れ落ちる「尾ノ内溪谷の水」そのものが龍であり、化身として尾の溪谷コースを陣取っているのだろう。
里宮から林道1kmを行くと、沢を渡る入り口に到着した。すぐに吊り橋があるのだが、左手の滝が一番滝で、冬場には滝周辺に氷柱を作り、観光客を集めている。夏でも土曜日曜日は地元のボランティアの有志が、売店を開き、便宜を図ってくれている。
本日の同行者は5人で、地元の人が3人もいた。その地元三人三様がこの先に多くのものを提供してくれることになった。

つり橋を渡ると、沢風が吹きぬけて爽やかさが全身を包んだ。更に左へと進むと、最近作られた鉄製の橋があり、そこを過ぎると自然林の真っただ中となった。
まさに現実を離れた世界へと、導かれて行った。色々な濃さの緑が広がり、自然林が惜しみなくマイナスイオンを発散し、その合間から陽光が射し込み、思わず深呼吸すると、思う存分に自然の恩恵が降り注いだ。
左に沢の音や流れを聞きながら5分も行くと、自然林がさらに奥まり、右側にフッと気が動き、それを辿ると一本の樹が目に入って来た。
道を外れて、その樹に近づいて行った。堂々と両手を広げたような樹は、エネルギーを発散せていたが、その後ろに、さらなる気をひく樹があった。立ち姿が、女性の柳腰のような柔和な雰囲気で、地面から1メートルの所に穴があいており、無意識にその穴を覗くと左右にトンネルのような通路があった。いつの間にか来ていたK子が、左の穴から覗いて「向こう側が見える」と言った。
その場に行き、穴を覗くと本当に向こう側が見え、見えた瞬間にこの樹が特別な樹だと察した。
名前を付けたいと思った瞬間に、『ディーヴァ』の名が頭に浮かんだ。ディーヴァとは「光り輝くもの」と言う意味でインド・サンスクリットでは天・天人・天神の意味だ。何とも言えない穏やかさと優しさに包まれた。
腰下の中央部分に穴があり、左右の穴と真ん中の空洞といえば子宮だ。子宮に包まれている安心感と安堵感を与えてくれる素晴らしいパワースポットだと感じた。

ディーヴァと名づけた樹

 両神双書『両神山』によると、龍頭神社の祖先は後朱雀院時代の源頼重の臣下である真壁権太夫だった。真壁権太夫は元筑波山の神主で、主君の戦勝を祈願するために諸国を旅した時に、この近くの山に「山気のなみならぬこと」を感じとり、毎日祈り続けた。
すると、「神代から霊池(尾ノ内溪谷)に住む神龍を鎮めよ。鎮めた後に、願いはかなうであろう」とお告げがあった。
お告げの通り、ふもとに諏訪神社を建立し、山中に龍神大明神を建立し、神龍自体は御神体として奥宮に祀った。権太夫が筑波山に帰った後は、現在の高野家の祖である藤原吉次が後を継いだ。
吉次の夢の中で、再度のお告げがあった。「神龍大明神社を別の地に移せよ。龍神は元来、女人を嫌う。この地は老若男女が日々参詣し、とくに若い女人は社地をけがす。人馬未踏の山頂に祭れ」とあり、龍神大明神社はその位置を山頂に移したと言う。
以上は『両神山』からの引用であるが、その意味がその後非情な形で示された。

■一番滝から山の神まで

緩やかで穏やかな波動を感じながら、その後も歩いて行くと、また、気になる場所があり、山側に向かった。
道を外れて数十メートル上ると、山中なのに石が積まれた石垣があった。明治時代頃からの炭焼き場だった。炭を焼く工程は、白炭(カシ系)ならば400度で5日間ほど熟成させ、1000~2000度まで上昇させたのちに、窯の外に掻き出して消し粉をかけ、1日かけて冷やすとあった。これらの一連の作業には伝統的な技法の場合2週間を要するとウィキペディアに書かれている。
炭焼きするには小屋を建て、山にこもりながらの作業が必要だった。ここでは昭和26年頃まで行われており、炭が焼けると小学生の子供が炭を背おい、村まで運んだという。10才ほどの少年が、シャツ一枚で素足に草履をひっかけて下山していく姿がアリアリと見えて来た。窯があったであろうそばには、大木が太い根を土に埋め、その場を守っている風情で、周囲を威圧していた。
炭を焼く人間と自然の共有が、厳しくともゆるやかな時間の流れを感じさせてくれた。

同行者のK子は「今回のこの山行は今までで、一番ハードだ」と言ったが、私は違う印象を持っていた。
同じ両神山の山行である第一編・第二編とも全く違うエネルギーが、この山行にはあった。歩きながらその違いを考えていたが、一言でいうと今回のエネルギーは『善』と言えた。
第一編では、修験者が歩いた道を辿り、その途中途中では力強さと厳しさのパワーがあり、常に緊張があった。第二編では、その修験者の先達や宿坊として700年を守って来た確固としたやはり緊張感があった。この尾ノ内溪谷は、修験道ではなく龍神のパワー探しだったが、龍神はその存在感を、強調や主張をしてこなかった。
このコースは、沢を5、6回も渡りながら進んで行くのだが、丁度、雨の日が続いた為に水量は増え、沢を渡るのが大変だった。だが現地の人の的確な誘導と、足置き石を水流の中に置いて下さることで渡り安くなり、水に濡れることなく渡れた。
また、ゆく道の先々では、それぞれが腰にのこぎりとナタを提げ、倒れている木を切り落としたり、道をふさいでいる枝を薙ぎ払ったりしながら進んで下さったお蔭で、その姿をみながらの山行は、大きな信頼の中で守られている気分での山行となった。
その現地同行者の一人は73才で、地元消防団長として長年地元を支えてきた風格が、どっしりした体格と揺るがない信念を発散させており、もう一人は69才だが地下足袋を履き、山が自分の一部のように身軽に走るような歩きで、その歩行・行動は美しかった。
第一編から常に同行して下さった方は、元校長で尾ノ内溪谷の氷柱を守ることなどで地域活性に惜しみない尽力をされており、人の為につくす態度に敬愛を感じていた。
そのような環境の中を歩き進んでいると、『善』というプラスエネルギーに守られているような爽やか気分で、「山の神」に着いた。

「山の神」への祈り

 ここは5月3日の龍頭神社山開きの時に、お参りする場所であった。小さな石の祠が、左側を流れる沢に突き出た大岩の上に、安置されていた。帽子を脱ぎ、手を合わせると、何と山頂から龍神が頭を持ち上げ、右肩ごしに振り向き、笑顔を見せてくれた。
龍神とは逞しく圧倒的な強さで守護するものと、勝手におもっていたのだが、その表情は「よく来たね」という暖かなものだった。そしてここは、まぎれもなくエネルギーのスポットだった。
消防団長が座っている写真には、エネルギーが渦巻き、その中央に彼がいた。「これまでの長年、滑落して死亡した人を何回も山から降ろしたよ」と淡々と話されていたが、龍神様もそんな彼の心情や行動に敬意を払っているのだろうと推測された。

龍神様の姿も見られ、気分はさらに盛り上がって進んで行くと、ざわめきを感じ始めた。今回の両神山の山行では、天狗には気をつけようと思っていたのだが、その天狗の気配を感じてしまった。気にすれば気にするほど近寄ってくると思ったが、その気配が強くなる中、気づくと今回は、天狗とそのそばに修験道の行者の姿があった。なんと行者が、近寄ろうとする天狗を、手にした錫杖(しゃくじょう)で追い払っていた。その攻防がしばらく続き、歩きながらその様子を感じていると、やがて左側に流れる渓流の張出た岩場に来た。そこで行者が天狗を追い払ったのだ。その勝利の場には、大岩がデンと構え、大木が勝者の行者の姿と重なった。
ここは勝者のエネルギー場だ。修験者のみが、天狗を扱われると言われている。

エネルギーが渦巻いているようだ

■山の神から油滝を目指して

さらなる善のエネルギーに包まれながら進んでいくと、消防団長の会長が、今度は右手になった沢の奥を指さし、「あそこに白い日本カモシカがいたんだよ」と教えてくれた。その場所は、周りを自然林に囲まれ、沢の水色やしぶきの白や木々の緑とさらに苔の濃い緑がコントラストされていた。
さらに真上から陽光が降りそそがれ、光の中で透きとおったようなその様相は、神秘的で原始的な雰囲気をかもし出していた。白いカモシカがいたと言われてみると、ありありとその情景が見えてくるようだった。それを感じながら歩いていると、左の山側に白い幹の大樹があった。ここは標高800メートルの山奥だが、いかにもその場の主のように堂々と周りを威圧していた。主であろう白い大樹の奥の木々が、靄で白っぽくなると、いつしかその靄の中から、白いカモシカがこちらに顔をみせている姿が浮かんで来た。そう思える程の超自然だった。

白い大樹

 山道は、ますます急登になって行った。地元者は、普段のごとく易々と登って行くが、私とK子は少し登っては小休止を繰り返していた。すると少し開けた場所に出た。ここは鳥を捕まえる時に使用する鳥もちを造る場所で、「とりもち場」だと説明を受けた。
鳥黐(とりもち)とは、鳥や昆虫を捕まえるのに使う粘着性の物質で、鳥がとまる木の枝などに塗る。脚がくっつき飛べなくして捕まえたり、黐竿(もちざお)と呼ばれる長い竿の先に塗って獲物を直接くっつける。日本ではモチノキあるいはヤマグルマから作られることが多く、モチノキから作ると白いために「シロモチ」、ヤマグルマのものは赤いために「アカモチ」と呼ばれている。
小屋があった場所は、平らに整地されていた。ここで作った鳥もちを、炭焼き小屋まで運んだとのことだった。昔の人は、現代人より小柄で食料こと情も悪かっただろうに、強靭な肉体と精神力を持っていたのだと改めて実感した。
さらに急登が待っていた。一歩づつ進みながら行くと、前方に滝が見えて来た。一瞬、油滝だと思ったが違った。多くの人がこの滝を油滝と勘違いして戻って行くようだ。ここ迄でも、かなりのハードさなので、そう思い込みたくもなる。

難所の鎖場近くの滝

 本心は「この滝を油滝にして戻ってもいいなぁ」と思ったが、初志貫徹で更に進んだ。油滝の手前に難所の鎖場があると聞いていたので、それも楽しみだった。怖いもの知らずというか、好奇心が勝りどんな難所かチャレンジしたかった。
すぐにその鎖場が、出現した。右側が絶壁になっている大岩に、鎖があった。その大岩にはほとんど足置き場となる窪みがなかった。先頭は地下足袋の現地の人が、軽々と渡って行った。次にK子が鎖にとりつき、何とか登って行った。自分の番になり鎖を掴んだが、足の置く場所の見当がつかなかった。
右側下方に、土が少しあるやや平べったい部位があり、そこに右足を置けと言われても、体を宙に浮かせないと届かない場所だった。自慢じゃないが、足が短い。K子は身長も高く、おまけに手足が長い体格だった。決心をして両手でしっかりと鎖を掴んだ。体を宙に浮かせるように右足を指定された部位に置いたが、置いた瞬間にその足がすべり全身が宙に浮いてしまった。下は岩盤絶壁で手を離せばアウトだ。
後ろから「手を離すな!」の声が飛ぶ。気づくと支えてくれる手があった。ひとまず、元の位置に戻った。
今度は、土のある部位より上にあるやや凹んでいる所に、足を置くようにアドバイスされた。だがどうみてもその部位も遠く、しっかり足がかかるようには思えなかった。だがそこに置くしか方法がなかった。
再度、意を決して、鎖を掴んだ。右足を伸ばし、どうにかその場所に届くように身体を移動させた。何とか足はそこに留まったのだが、身体が斜めになっているため、さらによじれてまたしても足はそこから外れて宙ぶらりとなってしまった。すぐに現地人二人の手助けが入り、元の場所に戻った。

目の前に、大岩が立ちはだかっていた。3度目をどうするか、意見が分かれた。「自分で決めて下さい」と言われても2回の失敗は、好奇心を退けた。さらに以前の瞑想中には、天狗が崖から突き落とそうとしている光景を見せられていたので、不安が増した。
すると元校長の地元の人が、今回はやめた方が良いと結論を出してくれた。
二回の宙ぶらんでは、両手両足を岩にぶつけ、打撲ができていた。その痛みが、生じ始めていた。この痛みを抱えながらの下山を思いやると同時に、両神山の三度の山行が、ともに最終目的地に達成できなかったことの意味を知りたくなった。
先発はそのまま油滝まで行くことになり、わたしと他の2人がその場で残ることになり、先程の滝まで退却し、待つことになった。そこで待つ間に、この鎖場を越えられなかった理由が知りたかった。
『すべて偶然はなく、必然の中で起こっている』それを知りたかった。
下に流れる沢を何となく見ていると、在る部分が気になり降りて行った。その部分だけが黒くなっていた。向こう岸側は崖のようになっているが、その崖面が黒々としている上に横筋のようなものがあった。
目の前にある滝を眺めながら、沢水で顔と手を洗い目を閉じた。すると龍神が現れた。先程現れた「山の神」の場所よりは、山頂に近いためか、その分、龍神の顔が大きかった。やはり右肩ごしに顔をこちらに向けて、「無理はするな」と言われた。それは慰めるような穏やかさに溢れていた。眼前の黒い横筋が、龍神の背のようにも感じられた。

■油滝への道のりは険しく、女人を阻みながらも穏やかに慰めてくれた龍神様

この尾ノ内溪谷の龍神様は、5200mの長さを持ち、更に古代からそこに在るなかで多くを見て来ているであろう。と思うと「自分の背丈でやりなさい」と言ってくれたようにも感じられた。
だが歩き始めた5分の場所に、ディーヴァと名づけた女体のような柔和の木に子宮を感じ、山行中に感じていた「善」のエネルギーも女性的といえばそうで、勝手にこの龍神様は女性ではないだろうかと感じていた為かもしれない。そして前のページに書いたが、奥の宮の龍神が女人を嫌うことにも、一因があるのかもと思ったりもした。
今回の目的は、山頂から半分の位置にある油滝までの予定だった。しかし絶壁に阻まれて行けなかった。両神山の山頂に行くには、第一編の日向大谷コース、第二編の浦島口コースとこの尾ノ内溪谷コースの3つのコースがあるが、ここが一番険しいコースで、その険しさは、杖捨て場・金ささげという名の場所がある。杖捨て場とは杖をついて登るほど険しい道であり、金ささげとは前を行く人の股を見上げるように急坂を登る為と言われる。

行けなかった私に、K子が写真と情報をくれた。
油滝は三方を岩盤で覆われ、包まれるように水が流れ落ちているようだ。滝つぼの底が丸くなっているので、油を揚げる時にあぶくができるように泡が出るのでその名前になったようだ。
滝の前には野生のトリカブトが群生しており、紫の花を咲かせると言う。トリカブトは日本三大毒植物の一つで、花の形が古来の鳥兜や鳥帽子や鶏のとさかに似ているからと言われている。

たどり着けなかった油滝

 帰り道では、打撲がその脅威を示してきた。元々、長時間の歩行時には左足に痛みが出るのだが、それに加えて両手両足の打撲の痛みが加わり、長い道中となってしまった。
歩き始め早々に、木を切り、杖を作ってくださったその杖にしがみつくように降りて行った。
やっと吊り橋が見える所まで来ると、『帰って来た』の安堵感が心の底から湧き起った。
吊り橋の手前で山側に杖を置くと、その杖に感謝の気持ちが入り、深々と頭を下げ、手を合わせ、実際に使わせて頂いた杖と龍神様に「無事に帰って来れました。ありがとうございます。」自然と声が出た。
吊り橋を渡り切ると、地元夫人たちのこころの籠ったもてなしが待っていた。冷たいラムネとお手製の漬物やミニトマト。手作りの地元お惣菜のたらし焼き。たらし焼きは、お好み焼き風で地元野菜のキャベツ・ねぎ・しそに紅ショウガと桜エビを混ぜ合わせ、味噌ベースの味付けをした上でのして焼いたもので、大層美味しかった。

秩父の郷土料理「たらし焼き」

 もう一品は、当地グルメとして創作された、尾ノ内パターテだった。地元で収穫されたジャガイモにしゃくし菜漬けとコンニャクを包んで揚げたもので、外はホクホクで中がシャキシャキとしてピリ辛感が新しい味覚となっていた。
吹き出る汗に、冷たい飲み物と新鮮な地元野菜とあたたかな声かけが、益々『善』のエネルギーの真実性を強めてくれた。これが田舎・ふるさとに帰った来た安堵感・安心感ではないだろうか?
女人を阻みながらも、穏やかに慰めてくれた龍神様は、現代の様相を表しているようだ。現代は女性の力なしでは、繁栄は望めない。昔ながらの男性優位のなかでも、男性と肩を並べて、女性は女性の特性を生かすことで、より完全な円・縁となり丸くなって行くものだ。 そんなことを教えられたパワースポット巡りだった。

第三編 (完)
 参考文献・資料:両神双書「両神山」、Wikipedia